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【移住者インタビュー】井関 耕平さん

井関耕平さん
名前 井関 耕平さん
年代 20代
出身地 千葉県
移住年月 2022年8月
家族構成 単身

大熊町への移住についてお伺いしました

移住前はどのような暮らしをしていましたか?

移住前は岡山県の久米南町にある限界集落において、農業を中心とした暮らしの発信により地域創生に取り組んでいるコミュニティでガスや水道を契約せず自然の中で生活していました。

岡山に住む前は、農業・建築・工芸などお金や組織、エネルギーに依存せずに愉しく豊かに生きる力を学ぶことを目的に栃木県に1年間住み込みで修行しており、技術的にも精神的にもさらなるレベルアップを目指して岡山県に移り住みました。

移住しようと思ったきっかけは何ですか?

今務めている会社の代表が、「新規農業事業の立ち上げを一緒に大熊町でやらないか」と誘ってくれてたことが一番のきっかけです。その代表とは栃木県にいたときにご縁があり、そこからたまに連絡はとっていて、岡山の次どこでなにをするかを考えていた時に声を掛けられ、話を聞いているうちに大熊町で農業や、それまで学んできたことを生かして暮らしの発信活動をしてみたら面白いんじゃないかと思って移住しました。

移住の決め手は何ですか?

自分の20代のテーマの一つが「自分の行動の一つが誰かの希望に足りうるか」ということで、大熊町だったらこれまで学んできたことを生かして、自分が生きたいように生きるだけで発信の説得力の重みも違うし、誰かの希望に足りうるかもしれないと思って移住を決心しました。

どのように情報を集め、どのような支援や補助金を利用しましたか?

大熊町についてのいろいろな情報は代表から聞いていましたが、それ以外は何も知らなかったです。放射能のことを中心に自分なりにいろいろと調べました。12市町村移住支援金についても調べて、これから申請予定です。

どのようなプロセスで移住しましたか?

自分の場合は、今お世話になっている会社の代表から大熊町の状況については聞いていました。農業の事は岡山県や、岡山県の前に住んでいた栃木県で学んでいたので大熊町で住居が決まれば移住できる状態でした。町の公営住宅がタイミング良く空いたのですぐに移住する事ができました。

現在はどのような仕事、活動をされていますか?

農業法人の会社に勤めています。夏場は、朝は5時に起きて昼間は現場で動いて、お昼ご飯を食べて、ちょっと昼寝して、また現場に戻って日が暮れるぐらいまで働き、帰ってきてご飯を食べて寝るみたいな、そんな生活です。具体的には、10ヘクタールの土地を借りていて今年は1haの生姜を栽培しています。生姜は世話のいらない作物ですが、地面や生姜の葉っぱを見て大丈夫そうか、水やりや農地の管理、草刈などの管理作業が今の時期だと結構大変で、生姜を掘り起こす作業や準備に追われています。

移住して良かったところと悪かったところを教えてください

良い点は、いたるところから清水が湧き出てたり、植生が豊か。11年間、農薬や除草剤や肥料が使われていない農地がたくさんあり自然が豊かなところです。また地元の方が、ご飯をごちそうしてくれたり、百姓仕事について教えてくれたりとても親切にしてくれます。 

悪いところは特にないですが強いて言うならば近くに映画館とカラオケなどの施設がないところですかね。

大熊町の好きなところはどこですか?

地元の方々がとても親切でいつも助けてくれます。懐の広い方が多いと思います。

移住を考えている人に一言お願いします!

一緒に大熊町で農業をしませんか?住んでみないとわからないこともあるし、大熊町で農業をやるには壁が高いですが、それが逆にやりがいにつながります。若手の担い手が増えて、一緒に新しい農業を発展させて、大熊町ににぎわいが生まれればいいなと思います!

公営住宅

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