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令和5年度相馬野馬追祭(2023年7月28・29・30・31日撮影)

相馬地方の夏の風物詩・相馬野馬追祭が7月29日から31日の3日間で開催され、例年に無いほどの炎天下の中、大熊町の騎馬武者たちが雲雀ケ原祭場地への道のりを行進しました。写真は副軍師付中頭を務めた大熊町騎馬会長の小野田さん。

相馬野馬追祭には、大熊町騎馬会から7騎の騎馬武者が出陣し、標葉郷の各騎馬とともに、旧相馬中村藩の各地区を行列。写真は副執行委員長を務めた島副町長。

御神輿(ごしんよ)守護を務めた大熊町騎馬会の小野田さん

勘定奉行を務めた大熊町騎馬会の鈴木さん

螺役(かいやく)を務めた大熊町騎馬会の渡部さん

騎馬隊を務めた大熊町騎馬会の杉浦さん

騎馬隊を務めた大熊町騎馬会の船迫さん

祭前日の7月28日に、野上地区諏訪神社に参拝する大熊町騎馬会員ら

相馬小高神社の方角に向い礼螺(れいがい)を吹く渡部さん

大熊町役場前広場で吉田町長に出陣報告をする大熊町騎馬会の小野田会長。相馬野馬追祭を誇り高き大熊町の侍らしく勇猛果敢に各行事に臨み、武勲を挙げ全騎無事なる凱旋を果たすことを誓いました。

大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村の4町村からなる標葉郷は浪江町権現堂(中央公園)に標葉郷本陣を構え、出陣報告と同町内での行列を行いました。

標葉郷は小高郷と合流すべく、南相馬市小高区の相馬小高神社へ向かい、同神社で小高郷の騎馬に合流すると「御発輿(ごはつれん)」に参加。御神輿(ごしんよ※おみこしのこと)とともに同区の行列を行いました。

南相馬市小高区の行列を行った後、同市原町区の雲雀ケ原祭場地の本陣を目指した相馬藩の騎馬武者たちが総大将のもとへと集いました。写真は各地区で行列を行う騎馬武者らの様子。

相馬野馬追祭のメインイベントとなる2日目(7月30日)の本祭り。早朝から戦支度をを行い気合いが入る騎馬武者ら。

雲雀ケ原祭場地を目指し南相馬市原町区の「野馬追通り」を甲冑を身にまとった相馬藩の全騎馬が行列しました。

執行委員会が発表した推計によると、メイン会場の南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地に約28,000人、沿道に約38,000人の計66,000人の観覧者が訪れました。写真は、雲雀ケ原祭場地入口付近の様子。年に一度の一大行事ににぎわう地元の観覧者や、夏の風物詩である野馬追祭を楽しみにしている観光客らに、堂々たる姿を見せ、沿道を盛り上げました。

雲雀ケ原祭場地に到着した島副執行委員長

祭場地に到着した各郷の騎馬武者たちは「甲冑競馬」、「神旗争奪戦」を行い、武勲を挙げた武者は、観客で埋め尽くされた本陣山の山頂まで「羊腸の坂」を駆け上がりました。写真は神旗争奪戦で奮闘する小野田会長。

7月30日の本祭りの後には、大熊町役場前で相馬流れ山踊りが、東日本大震災後13年ぶりに町内で披露されました。

県内外から相馬流れ山踊り保存会の会員15人が集まり、伝統の舞を勇壮に踊り、武勲を挙げた騎馬武者たちを迎えました。

昨年に引き続き、震災後2度目の町内帰り馬行列を果たした大熊の武者たちは観覧者が見守る中、堂々の凱旋で来場者を沸かせました。

町役場前の町騎馬会本陣で待つ吉田町長に進行状況を報告後、隊に戻る小野田会長

凱旋報告をした小野田会長は、ふるさと大熊に昨年に続き凱旋し、町民の皆さまに勇姿をお見せできたことは誇り。今後も、野馬追の歴史を大熊の地で継承していくと誓いました。

相馬流れ山を歌う鈴木さん

相馬野馬追祭最終日の7月31日は、野馬懸が行われました。「絵馬」の由来ともいわれ、国の重要無形民俗文化財に指定される重要な神事です。写真は相馬小高神社で総大将の到着を待つ武者らの様子。

相馬小高神社に荒駒(裸馬)を追い込み、白装束を身にまとった御小人(おこびと)たちが捕らえた馬を神前に奉納しました。

馬を追い込む矢来の出入りを管理する鈴木さん

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